コラム

No.15 クリオ坑の週末

 サンテティエンヌ市Saint-Étienneは、リヨンから南西に60km離れた場所に位置しており、炭鉱のほか工場や企業が立ち並ぶ産業都市として栄えた。欧州サッカー連盟UEFA元会長ミシェル・プラティニ氏が在籍したASサンテティエンヌのチームの本拠地でも有名だ。ユニフォームの胸元には、カタログ通販大手の地元企業マニュフランス社Manufranceがスポンサーロゴを付けていた。そのことからもまちの繁栄ぶりがうかがえる。だが今は、その繁栄ぶりはかつてほどでもない。

 市の中心部から離れた高台にある炭鉱跡は現在、クリオ坑博物館Puits Couriot Museé de la Mineとしてその周辺の公園とともに整備されている。訪れると公園は人々の憩いの場となっていた。昼ごはんを持ち寄って食べる家族、水たまりになった炭鉱電車のレール跡を走る子どもたち。そのほか地域の有志によるコンサート、砂絵づくり、ペタンク大会など、様々なイベントの期間中であった。しかし、利用者はせいぜい多くて30~40人程度。日曜に私たちが訪れたこともあってか、完全にのんびりした気分につつまれていた。 

 一転して、博物館の坑道ツアーは白熱したものであった。10人前後の参加者を前にして、ガイドの20代とおぼしき男性はマニュアルを持たず、完全に個人の権限に任されていた。まず子どもには面積や高さ、さっき見た時代との違いは?と質問して、興味を引き出す。そして2~3つ全体説明をしたあとで間髪入れずに「質問をどうぞ」と言う。すると、大人が自分の関心のままに矢つぎ早に質問しはじめる。そしてガイドがそれに答えていく。私も質問してみたが、1~2つにとどまってしまった。 

 このやりとりはツアーの各スポットで繰り返され、2時間以上の長丁場になった。集団であろうとガイドとは常時、対話し続ける存在であった。ガイドからの話を聞くことだけに慣れきっていると、その違いに圧倒される。博物館の敷地内の公園の昼下がりに、ガイドと白熱する議論。そのような文化遺産の活用法は、参加者も主催者ともどちらも日本と異なるものであった。

サンテティエンヌ・クリオ坑跡