コラム

No.59 生きたデュルケームを求めて

 日本では政治や行政との関わりのなかで、公文書のあり方があらためて議論となったことは記憶に新しいが、フランスには国レベルでの国立公文書館Archives nationalesをはじめとして、それぞれの自治体や官公庁に公文書がしっかりと保存されている。またフランスには1821年設立の国立古文書学校École nationale des chartesがグランド・ゼコールの一つとしてあり、その卒業生はchartisteあるいは同校卒業生の称号であるarchiviste-paléographe(古文書学士)と呼ばれ、高い社会的評価を得ていることはよく知られているところであろう。   

 ところで国立公文書館には、デュルケームに関する書類も残されており、これらを実際に閲覧することが可能である。そうした文書の中には、デュルケームの手書きによるものも残されており、公的な文書だからということもあろうが、内容とは別に、デュルケームが読みやすい端正な筆致の書き手であったことなども知ることができる。その一部は例えば、ジャン・イズーレが着任することとなる1897年のコレージュ・ド・フランスの社会哲学講座のポストをめぐるものがこれまでにも公刊されたりしているが(『フランス社会学評論』1979年20巻1号)、実際に手に取って見た中でとりわけ印象に残っているものとして、1917年にデュルケームが提出している休暇願がある。これらは実は病気による休暇の願いなのだが、後世のわれわれはデュルケームの没年月日を知っており、死が近づいてきている日付のものはそれ以前のものと比べてペンの勢いが衰えてきているようにも見え、胸に迫るものがある。 

 このように、デュルケーム自身の手書きの書類を通じて、実際に生きていたデュルケームの一端を感じ取り、追体験することができる。またそれが可能となるのも、一世紀以上を経ても公文書が残されて閲覧に供されているおかげであると言えよう。以上、本コラム欄のタイトルである“A la recherche de Durkheim perdu”の字義通りの意味に触発されて記させていただきました。