コラム

No.60 古本から過去をのぞく

 古本屋で本を買うと、誰かが誰かにプレゼントした本が売られていることがある。献本用の短冊が挟まっているだけの本がほとんどだが、中には手紙が挟まっていたり、直筆の文章が本の白紙のページに書かれていたりする時もある。内容としても儀礼的な挨拶から、誕生日を祝うメッセージ、そして愛の告白などの親密そうなものまで、様々である。私は思いもよらないところで出会うこの献本書が好きである。

 献本書の私信を見ると、二人の関係はどのようなものだったのかという単純な好奇心はもちろん、プライベートなやりとりをのぞき見てしまった気恥ずかしさや、この本は果たして鬼籍に入った方の書庫の整理など仕方がない理由で古本屋に売られたのだろうか、それとも単に要らないから売られたのだろうかといった下世話な詮索など、いろいろな感情が去来する。アンリ・バルビュスの『地獄』で主人公が壁の穴越しにのぞき見たのは隣室のプライベートな「現在」だったが、加えて献本書の私信はそれが本来であれば到達しえなかった「過去」の相互行為であるという意味で、二重の「壁」に阻まれている。そこに穴を(あるいはジンメルの意味での「窓」を)穿つのが、古本屋でふと出会う献本書なのではないだろうか。

 こののぞき穴は、思いがけず大洞穴に通じてしまう場合もある。ニューヨークのある大学で日本文学を研究している友人から聞いた話だが、その友人の知り合いがある時、ニューヨークの古本屋で一冊の本を手にとった。その本は、ある日本文学の大家が、サイードに贈った本だったという。このエピソード自体が本当なのかどうかは定かではないが、少なくとも想像力を掻き立ててはくれる。過去に密やかな相互行為があったことを告げる献本書——時間の問題としても、のぞき見趣味(?)としても、筆者の関心を刺激してくれる格好の素材である。