コラム

No.61 「人格崇拝」論の現代的意義

 ヨーロッパの「適応型」ムスリムに関する研究が進んでいる。ムスリムと主流社会との対立を強調する言説に対して、彼らがいかに主流社会と折り合いをつけて生活しているのかに着目し、「同化」とも異なるその統合の可能性を探るものである。中でもインタビュー調査を通じて紹介される移民2世・3世ムスリムの実践はいずれも興味深いものだ。そして、それらは理論研究にとっても大きな意義を持っているように思われる。経験的な現象でありながら、「法の下での平等か、法の保護なき差異か」「同化か排除か」といった従来の二項対立的な理論図式を乗り越える糸口を、先んじて示してくれているからである。

 この現象をとらえうる理論として、現在ハイブリティティ論などが注目されている。ところでデュルケムの個人主義論もまた、そうした理論として解釈できるのではないか。当時彼は信仰のあり方をめぐるカトリックと共和派の対立を射程に置いて道徳的個人主義を提起した。デュルケムによると、個人の人格を重視する点において、カトリックの道徳と共和派の望むライックな個人主義的道徳は矛盾せず、ゆえにカトリックであることとフランス人であることは両立可能なのである(ちょうどユダヤの出自を持つデュルケムが、ユダヤ人であることとフランス人であることを両立させていたように)。そしてそのためには、宗教の違いやライシテ原則をめぐる表面上の対立を超えて人びとが抱く「人格崇拝」の感情に目を向け、これを社会的に共有しなければならない。 

 「適応型」ムスリムが自らのイスラーム性を保持しつつ、主流社会の一員としてマジョリティと共存しているという事実は、こうした感情がムスリムを含むヨーロッパ社会に定着しつつあることの兆しなのかもしれない。この方向に進むならば、特にフランスはかつてカトリックとそうしてきたように、今後はイスラームとも信仰をめぐって協調的な関係を取り結ぶことができるだろう。