コラム

No.69 翻訳の楽しみ

規準』の翻訳は、つらかった。『社会学的方法の規準』は、題名が示す通りの「理論書」である分、難儀した。中でも「どっちとも取れる」文はやっかいだった。

 「えっ、ここのこの単語、どういう意味? こうも取れるけど、ああも取れるよねぇ。前後の文脈から判断すると……ありゃ、どっちでも筋は通る。っていうか、この本、抽象的な議論ばっかりで具体例がほとんどないから、こういう場合どっちの意味とも特定できないんだよね。執筆当時の状況に置き直しても、どっちでもありうるし。まさか、わざとダブル・ミーニングで使ってる? でも、そういう文体の書物じゃないし……」

 こういうときは英訳書を開いて英訳者の解釈に頼るのが王道(笑)。対応する箇所はどこかな、っと……っと……えっ?! 原文と同じ単語そのまま使ってるじゃん! 同じ綴りの単語が英語にもあるからって! これ、自然に訳してる体で、実は理解せずに訳してるだろ! ズルい!

 いや、そもそもね、ちゃんと書いておいてくださいよ、デュルケーム先生! 誤解の余地のない文、書けるでしょ? または別の表現でも書いてみるとかさ? せめて例を挙げるとかさ? ホント勘弁してくださいよ、先生……。

 と、抗議の叫びを上げても、天国のデュルケーム先生には届かない……古典の翻訳なんて二度とごめんだ……僕はもう疲れたよ、パトラッシュ……。

 あぁそれなのに、恵み深い悪魔のささやきが耳元に。「次はこの本どうですか? 複数巻の大部な著作ですが、不朽の古典です。こんな書物を訳せるチャンスは滅多にありませんよ……」

 そして私は今日も訳す。昨日も訳した。明日も訳すだろう……〔以下、繰り返し〕。この呪い、もとい、楽しみはいつか解けるのだろうか。