コラム

No.27 カンギレムとブルデュー

 フーコーは、カンギレムを、レジスタンスに参加しナチスに処刑されたその同僚カヴァイエスとともに、サルトルやメルロ=ポンティの「経験、感覚、主体の哲学」の系譜に対置される、「知、合理性、概念の哲学」に位置づけている。この対比は、カヴァイエス自身が、「数学の哲学」に関してフッサールの「意識の哲学」を批判し、自らの哲学を「概念の哲学」としていることを拡張し、フランスの文脈に適用したものであろう。科学的合理性の抑圧を告発する(マルクーゼ)のか、科学の展開それ自体における合理性を解明する(エピステモロジー)のか、なお先鋭な課題である。主体論的な西欧マルクス主義を排する、より客観主義的なマルクス主義が席巻した哲学的背景でもある。ただし、カヴァイエスと比べれば、カンギレムには、生命における規範性を探求する、生の哲学者としての相貌もある。

 ブルデューは、指導教授であったカンギレムの下で博士論文を書かず、68年に復活するまで二人の交流が途絶えていたことが知られている。アルジェリアでの研究や『遺産相続者たち』などからうかがえるのは、若きブルデューの主体の問題への関心である。ブルデューは、その知的キャリアの中で、主体の哲学を相対化しつつも、そこに求めた問題意識を別の在り方で貫き、合理性の哲学を知的基盤としつつも、社会的なものの領域をフィールドとしたといえよう。カンギレムとブルデューの軌跡には、知的哲学的潮流のこのようなせめぎあいが関わっている。