実家には、シクラメンの小さな油絵が飾られている。だいぶ前に母が、実家のある団地群の一角で開催された初心者向け無料講座で描いた作品だ。先生が1カ所だけ手直ししたのは、鉢植えの影だったそうだ。
子供のころ私は、母が中古で揃えた画集を眺めるのが好きだった。印象派の異質さに心惹かれ、のちに印象派の誕生には同時代の技術革新が影響したと学んだ。大学の美術史の講義では、〈実物そっくり〉に撮影できる写真機の登場によって、絵画の独自性を追求する新しい芸術運動が起きたことを、また、院生時代に訪ねたオルセー美術館では、乾燥しがちな絵の具の品質改善によって初めて、屋外にキャンバスを持ち出して描く写生が可能になったことを、鑑賞者として学んだ。
しかし、説明されるまで私は、シクラメンの絵の斬新さを実感できずにいた。
「こうすると」──母は、鉢植えの影を手のひらで覆い隠した。
「まあ、悪い絵じゃないけど、凡庸なわけよ。」
暗く写実的だった鉢植えの影を、講師の先生は鮮やかな緋色で、横に伸びる短い直線へと塗り直したそうだ。ほらね、と母が手を外した途端、目の前の油絵は、鉢植えの重さとそれを支える影の強さのバランスを回復し、色彩の美しさが際立つ、見違える作品へと変わった。その瞬間、描き手が新しい様式に出会った衝撃を、すなわち〈実物そっくり〉であることの陳腐さの発見と、そう描いて褒められてきた学校的価値観の崩壊とを、母の視点を通して追体験した気がした。
芸術作品に関するブルデューの諸研究に触れると、このときの母の説明が思い出される。