看護学生に社会学を教えていた当時、女性だから看護職をめざすという多くの学生に出会い、看護史に関心を持った。かつて看護婦と呼ばれていた看護師のルーツは、修道女だと言われている。しかし、それは、歴史のある一時期のことであって、修道女出現の前には、修道士つまり男性が看護を担っていたのである。なるほど、キリスト教の奉仕の精神から考えれば、修道士が鍛錬の一つとして、他者へのケアをしていたのは当然のことであろう。また、失楽園以来、エバを祖とする女性たちは、ほとんど歴史の中で語られることはなかったのであるから表舞台には登場しない。
しかし、ルソーが『エミール』(1762)で男性や子供をケアする存在として女性を評価する頃、女性の産む機能は拡大解釈され、「母性」が本能として登場するようになる。バダンテールが『母性という神話』(1980)で述べるように、「母性愛の表れ方はというものは過去4世紀の間に大いに」変化したのである。
かのデュルケームも、『社会分業論』(1893)の中で、性的分業の誕生について言及している。「はじめ性的機能にのみ限られていた性に基づく労働は、だんだんとほかの機能にも拡大していった。かなり前から婦人は戦争や公務から退き、その生活は家庭の内部にすっかり集中されている」と述べ、女性が「愛情的機能を独占」するようになった変化について記している。つまり、女性の役割が歴史のある時点から他者への世話に向けられてきて、生まれつきのものではなく、社会的に作られてきたものだということを社会学の父は教えてくれているのである。