ラオスのヴァンヴィエンは、近年、旅行者の数が増加しており、町にはレストラン、ホテル、ゲストハウスが数多く立ち並んでいる。周辺は自然に溢れており、町から約8km離れたところに位置するブルーラグーンでは多くの人々が水遊びを楽しむ。もっとも、いまでこそ観光地となっているものの、ベトナム戦争時には滑走路が敷かれ、アメリカ軍の戦闘機が飛び立っていった。
その滑走路の跡地は、現在では町を南北に貫く幹線道路の裏手に広大な空き地となっている。日中はブルーラグーンに向かう交通手段の一つであるレンタルバギーの発着所や運転コースとして、また大型バスの駐車場として用いられている。夜になると様々な屋台が立ち並び、多くの人々で賑わう。僕が訪れたその日は、結婚パーティーが開催されていた。
町の中心部にはナイトクラブもあり、偶然出会った数名のフランス人と訪れた。とりわけT君とCさんは日本のアニメをよく観ていたこともあり日本の話題についての会話がはずんだ。試しに広島の原爆のことを知っているか尋ねると、「知っているよ」と答えたので、それなら第二次世界大戦時、大虐殺の現場となったオラドゥールには行ったことがあるか尋ねてみた。すると、「知らない。どこにあるの?」との答えだった。
ヴァンヴィエンの日常を見る限り、T君やCさんを通じてオラドゥールを捉える限り、戦争の記憶は後景化している。とはいえ、広島の原爆の記憶がたびたび再構築されてきたことを顧みれば、「ヴァンヴィエン」や「オラドゥール」の再構築の可能性を見通すことができる。しかし、すでに戦争にまつわる諸問題が解消されているならば、もはや異議申し立てや再評価などを試みようとする動きは生まれないのかもしれない。