コラム

No.11 象徴と憲法

 周知のように日本国憲法は第一条で「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」としている。ここに社会学的テーマが潜んでいることに、この夏、気づかされた。

 1946年11月の憲法公布、もしくは翌年の施行とともに、「天皇」は国政に関する権能はもたない「象徴」(原語はGHQ草案の“symbol”)となった。では、国事行為以外なにもしなくても、天皇は象徴なのか。法的にはYESであろう。特定の天皇の振る舞いにではなく、制度的カテゴリーとしての天皇の地位自体に象徴性が付与されているからだ。 

 しかし今上天皇自身の考えは、自らの「象徴」たる地位に安住せず、日々その存在証明に勤しむべきだという、ウェーバー・テーゼ的(=『プロ倫』的)なものであることが明らかになった。「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」(2016年8月8日)で、「日本の各地,とりわけ遠隔の地や島々への旅」も,「天皇の象徴的行為として,大切なもの」であり、「日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を,日々模索しつつ過ごして来」たことが示されたのである。 

 さらに、行為と感情の交流なくして象徴なしという今上天皇の信念は、デュルケーム宗教社会学的な真実をもふくんでいる。デュルケームのシンボル論によれば、象徴が何かを喚起する力は、象徴を認知し享受する者たちの行うコミュニオンや集合的沸騰により充填される。ただし、日本国民の下からの沸騰の記憶が生々しかった憲法公布時からすでに70年が経った。今や事態は逆転し、天皇自身が慰問の旅によって各地の国民に小さな沸騰を生起させ、象徴の喚起力の維持に務める状況にある。しかし「全身全霊」の傾注を要する「象徴の務め」を生身の人間が生涯遂行することは困難であり、ここに今上天皇の深い悩みがある。 

 制度的かつ人間的存在としての「象徴」を法が成文的に創造し、それをリアルに存在・持続せしめることはできるのか。さらにいえば、社会学でも普遍的なものとして用いる「象徴」概念自体が、実は西欧固有の発想・観念ではないのか……。憲法第一条はさまざまな問いを喚起する。

夏2016・京都 智積院