2016年6月、フランス北部、ノール=パ・ド・カレー地域を訪問した。この地では18世紀末より石炭採掘が始まり、19世紀半ばから1990年代に終焉するまでフランス最大の炭田であった。このとき訪れたノール県ルヴァルドには、次世代の人々が地域の鉱業史を学べるよう、鉱業文化を保存することを目的とした鉱山歴史センター(1984年開館)がある。
この施設の見学時、特別展として「『ジェルミナル』、創作か事実か?」が開催されていた。『ジェルミナル』とは、自然主義作家エミール・ゾラが1884年から翌年にかけて発表した小説であり、1963年と1993年に2度の映画化もされている。ゾラはこの小説の執筆に際し、この地にあったアンザン炭鉱会社を訪れ、1884年の大規模ストライキの最中の地上と地下の様子を取材しているのだが、小説については炭鉱のダークサイドばかりを強調してその姿をゆがめたという批判もある。ここで興味深かったのは、彼が取材したのは1880年代の炭鉱だが、小説の舞台となっているのは1860年代であるということである。つまり、炭鉱の労働・生活環境の負の側面を誇張するために、あえて時代遅れとなった古い時代を舞台とし、読者の関心を誘ったのではないかと考えられるのだ。特別展では、当時の実際の炭鉱の技術や生活に関する史資料とゾラの作品内の描写を照らし合わせるかたちで、こうしたズレを検証するものであった。
かつて日本でも、五木寛之の小説『青春の門』や土門拳の写真集『筑豊のこどもたち』が炭鉱街の「ガラの悪さ」や「貧困」などの負のイメージばかりを普及させたという「功罪」が指摘されたことがあった。だがフィクションにしてもジャーナリズムにしても、それが何らかのメッセージの表現の形式であることを踏まえれば、このことはたんに「歴史に忠実」であればいい、「バランス」をとればいい、といったような単純な話ではない。この特別展のように、表象というものが「いかなる視点から、いかに構成されたものなのか」を知ろうとする試みが、非常に重要なのではないだろうか。