コラム

No.35 サン=シモンと日本

 今年の5月末、トゥール大学のJ・グランジュ教授が日本大学での講演のために来日された。著名なコント研究者として知られるマダムだが、新版『サン=シモン全集』(2012年)の編集にも携わり、近年はコントの師の研究にも力を入れておられる。留学時代に指導を受けたこともあり、2年前に一橋大学でサン=シモンの講演をお願いした時も快く引き受けてくださった。したがってマダムの来日はこれで二度目となる。

 ところで日大法学部のサイトにサン=シモンの自筆書簡がアップされているのをご存知だろうか(1)。実は講演のほかにマダムの来日の目的はこの未刊行草稿の調査にあった。彼女も参加している、Ph・レニエ教授の研究グループが『全集』に続き、『書簡集』の刊行を準備していた矢先、このサイトの数通の書簡に目が止まったというわけである。それにしても森博教授のビブリオにもないサン=シモンの新史料がなぜ日本にあるのか? 

 これら書簡を含むサン=シモン(派)の草稿群の最初の持ち主は、レオン・ド・ラ・シコチエール(1812-95)なるアランソンの代議士。この人物がなぜ祖父ほども歳の違うサン=シモンの草稿を保管していたのかはわからない。だがアランソンといえば極貧生活に陥ったサン=シモンが事業の協同出資者レーデルンを頼って一時逗留した土地でもあるから、その時に何らかの人脈を築いていたのかもしれない。 

 ところが20世紀に草稿群は四散、歴史の闇へと消える。わかっているのはイギリスの書店から日本の大手書店を経て1990年にその一部が日大にやってきたということだけ。今後の研究グループの調査を待つよりほかないが、いずれにせよその価値をわかる人がいなければ日本にはこなかっただろう。日大法学部とサン=シモンといえば、藤原孝先生の名前が思い浮かんだ。私はその辺りの事情をご存知ではないかと思い、すでに退官されていた先生に、今回のマダムの来日を機にお尋ねしてみようと思った。 

 しかし、私の希望は叶わなかった。マダムの来日を心待ちにしていた藤原先生がその一月前に急逝されたとの知らせを受けたのは、マダムの歓迎レセプションの席上のことだった。先生のご冥福を祈るとともに、日仏を結ぶこの調査に今後とも微力ながら協力していければと思う。 

(1)http://www.law.nihon-u.ac.jp/library/collectionpack/saint-simon/index.html