コラム

No.34 社会学からプルードンへ、プルードンから社会学へ

 2014年の秋、パリ第8大学にて開催されたプルードン研究会(Société P.-J. Proudhon)の年次大会に参加していたときのことだ。会が始まってしばらくした頃、かなり高齢の紳士が、付添いの方とともに入室してきたのが目に留まった。 

 翌日にコロックの参加者一人と食事を共にした際、その老紳士がピエール・アンサールであることを知らされた。アンサールが20世紀のフランス社会学において、またこの日仏社会学会にとっても重要な存在であることは言うまでもないだろうが、彼はプルードンやサン=シモン研究についても貴重な成果を多々残しており、プルードン研究会の創設者の一人でもあった。彼は1922年の生まれであり、私がお見かけしたときにはすでに90歳を超えていたことになる。なおアンサールの逝去の報に触れたのは、その2年後の2016年のことであった。

 アンサールに限らず、ある時期までのプルードン研究を牽引したのはC・ブグレやG・ギュルヴィッチなどの社会学者であったことは興味深い事実である。プルードン研究という観点から言えば、これらの「社会学的」研究を現在の観点からいかに評価するかは一つの論点である。また翻って、これら社会学者にとっての重要な参照項であったプルードンを出発点とすることで、20世紀フランス社会学史の一断面を描くこともできるだろう。

  アンサールにせよ、彼の師であるG・ギュルヴィッチにせよ、今なら社会思想や社会哲学と呼ばれる分野をも包摂しつつ展開された彼らの仕事について、いまだ十分な検討がなされているわけではない。純粋に現役の思想としてでもなく、他方では単なる過去の遺物としてでもなく、学史に位置づけることによってその意義を浮き彫りにする作業が求められるだろう。