コラム

No.28 モンローとゴッホ

 昨年暮れ、乗り継ぎ便待ち合わせのため、朝から晩まで、アムステルダムでかなりの時間があった。しばらく前から、邦訳が出たばかりの大冊、スティーヴン・ネイフ/グレゴリー・ホワイト・スミス『ファン・ゴッホの生涯』(国書刊行会)を読んでいたこともあって、私の足は自然とゴッホ美術館へ。

 途中、ダム広場を通り過ぎようとすると、新教会の壁面には大きくマリリン・モンローの顔が・・・・・・どうやら、モンロー生誕90周年を記念する展覧会をやっているらしい。彼女も生きていれば、介護施設の世話になっている私の義母と同い年か。オランダ国王の戴冠式も行われるプロテスタント教会で、セックスシンボルとなるアメリカの女優展とは物珍しい――不意に浮かぶ思いとともに、ついつい教会に足を踏み入れる。第二次大戦中、軍需工場で働くモンローの姿。1954年にジョー・ディマジオと新婚旅行で訪れた日本、続いて向かう朝鮮戦争の慰問。1962年のケネディ大統領誕生パーティー――数々の映画とは別に、モンローのそうした姿を一覧すると、背景には戦後史が鮮明に浮かび上がってくる。

 その後、当初の思惑どおりゴッホ美術館を訪れた後、空港まで戻るとき、モンローとゴッホにはいくつかの共通点があることに気づいた。①二人とも30歳代で亡くなり、代表作が短期間に集中している。②一般的には自殺とされるが、他殺説もある(ネイフとホワイト・スミスの著作は、ゴッホ他殺説を綿密に裏付けている)。③ともに顔が、誰もが知るアイコンとなる。 

 それから、モンローにもゴッホにも、独特の親しみや懐かしさを感じさせる何かがあるのではないか。できることなら友達になりたい、一度「マリリン」「フィンセント」と呼んでみたい――そう思わせるものが二人に共通してある。実際にはマリリンは、大物野球選手や劇作家、大統領や司法長官を夫や愛人にしたわけだから、友達になるにもそれなりにセレブでないと・・・・・・フィンセントの場合、ちゃんとつき合うのはかなり厄介そうだ。ゴーギャンも手に負えなかったわけだし。弟テオと同様、相当金をせびられそうだ。でもアルルの酒場で出会ったら、ぜひ一杯おごらせてもらえないかと声をかけたい――日暮れの早いアムステルダムで、妄想は進む。