コラム

No.29 Bangladeshi Man in Paris

 パリの地下鉄の通路で果物を売っているのは、大概はバングラデシュ人である。日本で働いていたバングラデシュ人のひとりにパリで邂逅したとき、彼も地下鉄の果物屋だった。

 彼だけではない。日本に出稼ぎしていたもうひとりのバングラデシュ人からも、思いがけず「今パリにいる」と、私のフランス滞在中に電話があった。2007年のことである。国に帰ってからアパレル企業の社長として成功し、パリの見本市に出展するためだという。その後CamaïeuやJenniferのニットを受注するようになった。パリの取引先の社長とともに私も接待してもらい、近くのバーで美味なカクテルで乾杯した。経済エリートになればEUの国境をいとも簡単に越えられるのだ。目眩のような酔いを覚えた。

 それから3年後に連絡をくれたのが、冒頭の知人である。日本から強制送還されたのちに、再来日してすぐに捕まってしまい再度強制送還されてから、音信不通になっていた。なんとパリにいて、難民申請をしたという。難民認定は難しいと思われたが、他にフランスに移民する方法はない。知人の果物売りを手伝いながら細々と生活していた。さらに2年ほどたって、スキャンした難民認定つきの滞在許可証がメールで送られてきた。仕事もみつかり、ハラル・チキンのファーストフードの厨房で働いているという。18区のシャトールージュの駅を出てすぐ、バルベス大通りに面したChicken75という店である。一昨年訪問したときは妻と子ども2人も呼び寄せ、カシャンに政府が難民向けに借り上げたホテルで生活していた。二間ありキッチンもついている。そこで彼の妻が振る舞ってくれたカレーのおいしさは一生忘れられないものだった。

 スティングのEnglish man in New Yorkをつい口ずさんだ。Oh, I’m an alien, I’m a legal alien。そう。彼らは日本では非正規移民だったが、パリでは正規移民なのだ。よかった。