今日、私たちの道徳意識がますます低下しているのではないだろうか。 政権は選挙をにらんで、社会保障給付費の負担増への対応を先送りしているという記事が朝日新聞東京版2018年5月22日朝刊に掲載された。私はこの記事を読みつつ、政治家は高齢者や子どもの利益にはあまり関心がないと感じた。
かつ、学生の指導でも同様のことが認められる。先日、星野欣生先生の『職場の人間関係づくりトレーニング』(2007)を参考に、「私が大切にしていること」、すなわち「愛情」「自己実現」「お金」「正義」「楽しみ」「健康」の6項目について、グループごとに学生が話し合いのうえ、彼らにその順位を決定させたが、ほとんどのグループで「正義」が5位ないしは6位という結果であった。
なぜこの事態が生じたか。デュルケムにしたがえば、人口増加による分業の急激な発展が生みだした無規制状態として説明できる。が、今日の人口減をふまえれば、彼の議論をそのまま適用するのは困難であろう。 あるいは、この事態は、中根千枝先生が述べたところの、日本社会の「構造」が生みだしたのではないか。「ウチ」における直接接触的な人間関係が優先されるいっぽうで、人びとは「ヨソ」には無関心を装う。この「構造」が、社会保障制度改革の遅れや正義感の低さの背景なのかもしれない。
フランス社会学は道徳の科学として始まった。ゆえに、その継承者はこの事態を把握する努力が必要ではないだろうか。