指導教官の影響もあり、大学院時代はプラグマティズムの解読に取り組んでいた。当 時、社会人からの出戻りで知識に飢えており、遅ればせながら始めたフランス語で知り 合った仲間と週1回、原書購読にも取り組んでいた。結局、フランス語は上手くならな かったが、記憶に残っているのは、SやらABやら、記号の付された円錐形の引用図面で ある。それならベルクソンとプラグマティズムとの関係についてまとめたらどうかと指 導教官に勧められたが、社会学から遠ざかりたくなかったので、なんとなくうやむやに し、そのままにしていた。
それが最近、本学会をも含め記憶論について拝聴する機会が多い。アルヴァックスや ノラを出発とするのであろう事例分析に毎回、新鮮さを覚えている。一方で、おそらく 勉強不足のせいか、少し物足りなさを感じてもいた。そもそも、あの円錐形がどこにも 出てこないではないか!そんなものが社会学に何の関係があるのだと言われてしまえ ばそれまでであろう。ただ、研究できる残り時間も徐々に少なくなってきていることだ し、本当にそうなのかどうか、少し取り組んでみてもよいかなと考えている。これまで 多くの先生から社会学の知識を学んできたのだから、何を書いてもいまさら哲学にはな らないだろう。そう信じることにして、いままでやってきたフィールドワーク、とりわ けここ10年ほど足繁く通っている沖縄に当てはめてみたらどうだろう。自滅するかもし れないが、ひょっとすると行き当たりばったりだった人生の辻褄が少しは合うかもしれない。