2014年夏、南仏ニースに20日ほど滞在した。バカンスの真っ最中で、街を歩く人びとはみなビーチサンダルを履き、夕方になると波が押し寄せるかのように海岸から人びとが上がってきた。ニース・ヴィル駅は毎日、近隣の観光地に出かける観光客でごった返し、オシャレすぎる鉄道乗車券の自動販売機の周辺では、購入方法がわからない観光客たちが互いの切符購入を手伝う姿が見受けられた。人々から感じる解放感と余裕が、フランス第五の都市の豊かさを象徴しているようだった。
この年の8月15日、『ル・モンド』には、「6月6日のノルマンディー上陸作戦が、8月15日のプロヴァンス上陸作戦を集合的記憶の中に仕舞い込んできたが、この解放70周年記念はそれ[プロヴァンスの記憶を]取り戻させてくれる」との記事が掲載されていた。
けれども、同日夜のプロムナード・デ・ザングレ(海岸沿いの遊歩道)では聖母マリア昇天記念日が祝われていて、翌日のニース駅では第一次世界大戦記念式典があった。そのプロムナード・デ・ザングレの中央には、19世紀に北アフリカ諸国を建国したフランス人が、同諸国の独立を経て、1962年以降ニースをはじめとするコート・ダ・ジュールに帰着したことを顕彰する記念碑が建っていた。集合的記憶が交錯する時と場を体験することになった。
昨年(2016年)7月14日フランス革命記念日に、このプロムナード・デ・ザングレで、北アフリカ出身の若者によるトラック・テロが起きたことは記憶に新しい。ニースはこれから何を集合的記憶にしていくのだろうか。