コラム

No.3 Black-Blanc-Beur

 1998年7月12日、パリ。エメ・ジャケ監督率いるサッカーフランス代表が、決勝戦でブラジルを破り、フランスサッカー史上初めて、ワールドカップ優勝を成し遂げた。

 この試合で人々の注目を一身に集めたのは、勝利を決定づけた2得点を記録する活躍を見せたジネディーヌ・ジダンであった。試合後、彼へのまなざしは、ピッチ上でのパフォーマンスだけではなく、彼の出自にまで向けられることとなる。というのも、彼の両親は、アルジェリア北部にルーツを持つ移民であり、その子供としてマルセイユに生まれたジネディーヌ自身もフランスとアルジェリアの二重国籍を持つ人間であったのだ。ジダンの他にも海外県や旧植民地にルーツを持つ選手たちが多く所属するフランス代表チームに向けてメディアや知識人たちから発せられた称賛は、必ず しも、己の肉体のみを拠り所にスポーツを行う選手たちへのそれではなく、往々にして、人種的・出自的に様々な背景を持つ個人が、三色旗の下に集い、世界一になったのだ、という非スポーツ的な文脈の中で語られた。

 ワールドカップ優勝から2年後に行われた欧州選手権も制覇したフランスチームは、文字通り、フランスを「代表」する存在になったのであるが、2002年日韓ワールドカップでの不本意な成績を始めとして現在まで、主たる国際大会で目立った成績を収められていない。近年のフランスでの出来事を見ていると、スポーツにおける結果とともに、サッカーチームが体現してきたフランスまで、過去の歴史の中に消え去ってしまったかのように感じられてならない。