コラム

No.52 オブジェクト指向の哲学の社会学への拡張

 10年ほど前、事物についての観念は社会学界の重要な「賭金(enjeu)」であった。本質主義と構築主義の論争である。この論争が決着することはなかったのだが、構築主義が社会学界のなかに自らの位置を獲得することには成功したと言える。そして、今や再び、事物についての観念が重要な賭金となりつつある。今日、哲学界で盛んに議論されている「思弁的実在論」である。そのなかでも、グレアム・ハーマンはブリュノ・ラトゥールに依拠しながらオブジェクト指向の哲学を構想し、その哲学を足場としつつ新たな社会理論の構築を試みている。Immaterialism (2016)において、ハーマンはオブジェクト指向の社会理論を提案している。Immaterialismの第一部ではオブジェクト指向の哲学の諸概念(オブジェクト、事物それ自体(things in itself)など)が説明され、そのうえで、オブジェクト指向の社会理論の諸原理が素描される。そして、第二部において、ハーマンは実際に自らが提示した原理に基づいて東インド株式会社(VOC)を分析し、結論部でラトゥールのANTと対比しながらオブジェクト指向の社会理論の暫定的な規則を提示している。ハーマンの議論の詳細は今後の課題とするとして、構築主義論争との関係のうちでハーマンの試みを位置づけてみたい。 

 ハーマンは自らの論敵を還元主義者と呼び、二つないし三つの還元の形式を論じている。「下方解体(undermining)」か「上方解体(overmining)」かである。これは、おおよそ本質主義が構築主義かという語で言い換えることができる。下方解体は事物をその本質に還元し、上方解体は事物をコンテクストに還元するものである。ここまでは言わば、構築主義論争の焼き直しでしかない。ハーマンが提示する重要な論点の一つは下方解体(本質主義)と上方解体(構築主義)がほとんどの場合、単一の仕方で用いられるのではなく、両者を組み合わせて用いているという指摘である。ハーマンはこれを「二重解体(duomining)」と呼んでいる。ハーマンは物理学者を例に論じている。ある物質を原子、分子といった構成要素に分解して考えるという点で物理学者は下方解体を用いるが、物質の究極原因が数式で表記されうると考えるという点では上方解体をおこなう (イアン・ハッキングの動的唯名論は二重解体の代表例だろう)。

 ハーマンは本質主義と構築主義を二重解体として退けつつ、自らの立場を表明している。オブジェクト指向の社会理論は事物の本質、実在性について探究するのだが、物自体としての事物の本質は知りえないこと、事物の実在性が人間の精神とは無関係には存在しえないことを認めている。つまり、ハーマンは事物の本質や実在性を問うという意味で本質主義的であり、事物の実在性は人間の精神から切り離しては知りえないという意味で構築主義的なのだ。本質主義にも、構築主義にも、還元することなしにオブジェクト指向の社会理論を理解し、そのうえで、それが単なる折衷主義以上のものなのかを問わなければならないだろう。