パリ14区にあるモンパルナス墓地は、緑が多く、開放的な雰囲気がある。ボードレール、サルトル、ゲーンスブールなど、各界の著名人が埋葬されているので、ちょっとした観光地になっている。目当ての墓石を探すには、入り口の事務所で地図をもらうのが賢明である。
ここに社会学者のデュルケームも眠っている。墓石は、観光客が集まる場所から少し離れた一角にある。謹厳なデュルケームに似つかわしい質素な灰色の墓だが、「近代社会学の創設者」にしてはなんだか寂しいので、前回訪れたときは、近くの花屋で買った薔薇を捧げてみた。不思議なコントラストがうまれて、彼が少し微笑んでくれたような気がした。
私たちは教科書で出会った学者を歴史上の人物のように考えてしまうものだが、実際に墓の前に立つと、かつてそのひとが生身の人間であったという事実に改めて気づかされる。私はデュルケームの作品を批判的に読解する仕事に取り組んできた。だが、批判するなら、書かれていることはもちろん、語ろうとして語りきれなかったことまで読みこんで批判すべきではないか。死者は面と向かって反論できないのだから。そんなことを考えた。
2017年はデュルケームの没後百年にあたる。日本ではデュルケーム学派の仕事を再検討する共同研究が進められている。次は、花束だけでなく、何か語るべきものを携えて、モンパルナスの墓地を訪れることができるだろうか。