コラム

No.2 魔法の言葉、もしくは寛容について

 冬のブルターニュの寒空の下、学生たちを引き連れて、郊外の訪問先企業へ向かう貸し切りバスを待っていた。一連の手配をしてくださった交流協定校の担当者、フランソワーズさんと一緒に。  
 十分が経った。バスは来ない。二十分が経った。バスは来ない。三十分が経った。バスは来ない。  
 バス会社に問い合わせるためオフィスに行ったフランソワーズさんが戻って来た。 
 「バスが壊れました。修理中です。修理が終わったらすぐに来るそうです」 
 屋外の寒さを避けて学内のカフェテリアで待つうちに、いつの間にか一時間半が経っていた。バスは来ない。  
 フランソワーズさんが戻って来た。「バスはまだ直りません。仕方ないです。何事もスケジュール通りには進みません。ここはフランスですから……」  
 「代わりのバスはないんですか? 地域最大手のバス会社だって言ってましたよね?」と不満げにいぶかしむ学生たちに私は――「お金を飲み込んだまま無反応を決め込む自動販売機」「目的の階には頑として止まらないエレベーター」「ホーム転落防止壁の真正面で扉を開くメトロ」などなど、何週間も、何ヶ月も、時には永久に是正されることのなかったあらゆる不具合を思い起こしながら――万感の思いを込めて、すべてを許す魔法の言葉を吐く。「ここはフランスだから……」 

ブルターニュの冬の寒空、モンサンミッシェルを臨む