コラム

No.18 ハノイのギロチン

 ベトナムを訪問するというと「フランス語ができると便利でしょう」、と問われることがしばしばある。答えは“Non”である。80歳も後半以上で高等教育を受けた人のなかには流ちょうなフランス語を話す人もいるが、それより若い世代はロシア語、さらに若い世代のほとんどは英語しか話さない。

 それでもフランスからベトナムに「輸出」されて日常生活に定着した文化はたくさんある。私の知っている単語だけを並べてみても“Ô tô”“Phim”“Pho mát”など。 それぞれ“Auto”“Films”“Fromage”に対応しているといえば、音との関連でなるほどと思われるだろう。もちろん両者の意味も同一である。19世紀の後半から20世紀の前半にかけての植民地支配は、実に多くのものをベトナムにもたらしたようである。  

 ハノイ市中心近くにあるホアロー監獄は、1896年にフランス人によって建設され1954年まで使用されたとある。現在は一部分だけが博物館として保存され、敷地の大部分は「ハノイ・タワー」という超高級コンドミニアムとなっている。そこには“máy chem”なるものが展示してある。直訳すれば「首切り機」、すなわちギロチンである。博物館の説明文にはフランス人が実際に用いた2台のうちの一つで、1930年台に反仏闘士の首を刎ねたと書かれている。 

 この監獄はベトナム戦争時にはアメリカ兵の捕虜収容所として使用され、待遇の良さから彼らから’Hanoi Hilton’とも呼ばれたそうである。アメリカ兵たちはフランス人が残した監獄に厳重に囚われることにはなったが、幸いなことにギロチンの露と消えることは免れたようである。