コラム

No.19 Ma Petite “Imâm” ( 私の愛しい「イマーム」さん)

 80年代初め、チュニジア南部を旅行中のある夏の朝だった。宿の周りを散策していると、羊を連れた子ども達に出会った。アラビア語で話しかけ他愛ない話をしていると、年長の少女が「あなたムスリムでしょう」と言う。なぜかNonと言っては悪いようで「まだだ」と答えた。少し怪訝そうな面持ちだったが、思い直したように「私の言う通りに言える?」と尋ねる。私のアラビア語力を試そうというのだろう。まあいいか、と頷く。「Bismilllāh rahmānil Rahîm alhamd lillāhi「(仁慈あまねく慈悲深きアッラーの御名によって)」。コーランの最初の文言だ。私も暗唱する。開巻の章を一通り済むと「じゃ、次にこう言って!」と彼女。「’ashhadu ‘an lā ‘ilāha illā ‘llāh wa ‘ashhadu ‘anna Muhammadan rasūlu ‘llāhi(私は『アッラーの他に神はない。ムハンマドがアッラーの使徒である』ことを宣言する)」。「今度はシャハーダ(信仰告白)か。それも楽勝。」と、復誦したら、少女は我が意を得たとばかりに、「tawwa enti musulim!(あなたはもうムスリムよ)」と宣うた。ああ、そういうことだったか。この娘は「まだ」と答えた私をイマーム(導師)に代わって導こうとしたのだ。正式な条件は整っていないが、私はこのおしゃまなイマームに半ば改宗させられたのかもしれない。この少女も今は良いお母さん、いやもうお祖母さんかな。

小さなイマームとそのいとこたち
ひつじと少女