「戦争の記憶」論や文化遺産論の隆盛の中で再評価されたモーリス・アルヴァックス(1877‐1945)は、集合的記憶論の始祖とされている。だが、彼はその記憶論の中で「戦争の記憶」については全くと言っていいほど語っていない。なぜ彼は「戦争の記憶」を正面から取り上げなかったのだろうか。おそらくそれは、彼が戦争というものにあまりに深く巻き込まれていたがゆえに、直接にそれを対象とすることができなかったからではないだろうか。
第一次世界大戦時には、彼は国防省で軍需産業の組織化に尽力した。そして、第二次世界大戦時には、レジスタンス活動によりブーヘンヴァルト収容所に収容され、そこで非業の死を遂げている。彼自身が、「戦争の記憶」を語ることはついに叶わなかった。一方で、ブーヘンヴァルトでのアルヴァックスの悲惨な最期については、同じ収容所に収容されたソルボンヌ大学時代の教え子ホルヘ・センプルンが、時を隔てた1994年にようやく語ることになる(L’écriture ou la vie。邦題は『ブーヘンヴァルトの日曜日』)。
アルヴァックス自身がついに論じることの叶わなかった「戦争の記憶」。これがセンプルンという他者の手を介してしか実現されなかったことは、歴史の皮肉としか言いようがない。だが、私はここに、アルヴァックス自身が実現することのなかった「戦争の記憶」論の一つの形を見出すのである。