今年の日本帰国は大変だった。半年以上前に予約したフライトが、コロナウイルスで世界がパニックに陥っていた3月のピークに重なったからだ。出発10日程前からフライト時間の変更とキャンセルが終わることなく続き、不穏な空気が漂う中、右往左往していると全ての国内の学校が突然休校になった。息子ともども担任の先生やお友達が準備してくれていたお別れ会が流れてしまったことを残念がっている間もなく、全商店が閉まることが決まり、お土産を買いそびれてしまった!と焦っている内に外出禁止令発令。飛行機を乗り継ぐ予定だったドイツは国境閉鎖を決定し、「もうなるようにしかならない」という境地に入り始めた頃、急遽乗る予定をしていたANAではなくルフトハンザから明日のエアフランスに乗るよう連絡があり、大急ぎで荷造りを済ませ、印刷した外出許可証を握りしめ誰も歩いていない街に踏み出し、閑散としたトゥルーズの飛行場から出発した。「ヨーロッパ脱出アジア人搭乗機」という様相のCDG発関空便は、その後パリ・関空間においては最終便だったことが判明。思っていた以上にギリギリの帰国だったことを知った。
普段からデモやストライキで日常生活が立ち行かなくなることに慣れているフランス人。今まで通り郵便物は届くのか、スーパーや薬局は開いているのかさえ最初は不明であったにも関わらずそこそこ冷静で、マクロン大統領のコロナウイルスに対しての宣戦布告の下、指示通り行動したので驚いた。外出が禁止された後の広場には「こんなに犬を飼っている人がいたんだ」と思うほど犬の散歩(外出が許可されていた活動の一つ)が増えたことも確かだったが、普段は懐疑的で天邪鬼なイメージが強いフランス人は、連帯がキーワードとなると強いということを、人や車が通らなくなった街を見ながら再確認した。
使命を感じてなんとか到達した日本での講義は全てWebとなり、こんなことならフランスにいても一緒だった、、、と思いつつ(帰国便にも苦労したがその話は省略し)、今まで病院でしか見たことがなかったマスク姿の人々が歩き、コロナで陽性になった人を指すコヴィデ(covidé)という動詞が使われるようになったフランスに8月戻った。そこで気づいたこと、感じたことは数えきれないが、自粛警察という言葉も生まれた日本と比較すると、言われなくてもGo To Travelしている、何があっても人生を楽しみバカンスを生きると決め込んでいるフランス人がそこにいた。
例えば私が住む南西フランスの小さな街では、毎年夏になると広場でライブコンサートが行われるのだが、コロナ禍の今年も例年通り毎週土曜日に人が集まり音楽を楽しんでいた。しかも同じ広場に簡易のPCR検査場が保健所により設置され、金・土の20時~23時にかけ(この時間帯も夏のフランスらしい)無料検査が行われた。地元の新聞によると想像以上の反響があり、一日150件以上の検査が実施されたというのだから、みなコロナのことを忘れてはいない様子。とはいえ、ライブコンサートもたけなわとなると広場はソーシャルディスタンシングも何もなく人がぎっしり隣り合わせになる状態になった。大勢の人が集まっているコンサートとPRC検査が同時に同じ場所で行われている、原因と結果が隣り合わせとなっているその様子がフランスのコロナに対する現在の態度をよく表していると思った。
コヴィデの人が増える中、私が密かに気になっているのはパンデミックが終わった後、ビズの習慣が戻って来るかどうかだ。フランスで生活する多くの日本人が初めは怯むこの挨拶は、私の周りからは一切消えてしまっている。いつもなら久しぶりに会う知り合いとはグロビズをするわけだが、今年はみな会っても手を上げたり頭を少し下げたり。その挨拶の距離感はまるで日本。親戚周りの時など普段は面倒くさいと感じるこの習慣も、なくなってしまうとなんとも寂しい。
この文章を書いている時点でフランスのコロナ陽性者数は9000人を前後している。