すみません。新しいネタがないので、昔話をします。
社会思想史や経済学史のあたりを研究領域にしていたのですが、1990年ごろ、たまたまフランスにいたとき日仏社会学会のコロークを覗きに行って、それを機にこの学会に入りました。当時は全体の会員も少なく、とりわけ九州地区の会員はごく少なかったおかげで、やがて理事会にも入れてもらいました。
私は、日仏社会学会に入った後で、研究者として生きる姿勢、ものの見方や考え方ががらりと変わりました。天啓のようなものを授かったわけです。
日仏社会学会の大会や理事会のあとの「飲み会」で、みなさんから聞く話のおもしろかったこと。それまでの私は、研究というのは砂を噛むような思いでするものだと思いこんでいた。ところが、みなさんは研究を楽しそうにやっている。そうか、研究ってのはおもしろがってやるもんだ、とわかった。
また、私はみなさんから知識人の役割というものを教わった。われわれはさんざん「勉強」をしてきたが、「だから何だ?」と、そのあたりを問われた。わかったふうなジャーゴンをふりまわして、いっちょまえの学者のふりをしても、それは何の意味もないと教えられた。いっしょうけんめい社会学を勉強してきた人間は、頭の使い方を鍛えてきたわけだから、どんなものごとにたいしても「凡庸でない」見方ができるようになっている。私はそのことをみなさんから教えてもらいました。
しかし、天啓のようなものを授かりながら、社会学のなかに入りきれなかった私はやはり今でもバカのままです。