コラム

No.73 2022年9月のフランス滞在にて

 2022年9月、日仏会館研究助成研究協力者として、レンヌとパリへ調査に赴いた。4年振りのフランス滞在であった。すっかりマスク生活が板につき、人と接しない生活に慣れ、長距離移動なんてもってのほかという日常を過ごしていた私は、「空港に行く」という行為から大変な緊張感であった。コロナ禍を経て、フランスはどのように変わってしまったのだろうか、不安であった。

 シャルル・ド・ゴール空港に到着し、モンパルナス駅からTGVでレンヌへ移動する道すがら、4年前には存在しなかった、マスク等不衛生なもの専用のゴミ箱、ソーシャルディスタンスや感染防止を促すサインと看板などを目にした。「フランスにはもうマスクをしている人はいない」と、ニュースなどで耳にしていたとおり、街中でマスクを着用している人を見かけることはほとんどなく、日常の光景が広がっていた。街も人も4年前と何も変わっていなかった。しかし、パリでもレンヌでも、メトロの中では老若男女問わずマスクを着用している人を見かけることも多く、私自身マスクを着用していても特に変な目で見られることもなかった。マスクをしようがしまいが「自由」であった。

 レンヌにて学生にインタビュー調査を行った際もその「自由」を感じる場面があった。インタビューに応じる際、マスクを着用している学生もいれば、着用していない(そもそもマスクを持っていない)学生もいたし、こちらにマスクをしてもしなくても良いと一声かけてくれる学生もいた。たかがマスクであるが、自由に選択できる感覚がとても心地よく、感動を覚えた。

 日本においては、マスク一つを取っても「世間の目」がついて回る。マスクを着用する理由に、「みんながつけているから」といった根拠のない理由が入り込む。日常生活において、相互に監視し合う空気が蔓延しているように感じ、窮屈であった。今回のフランス滞在において感じた「自由」は、「世間の目」などといった、はっきりとした基準をもたない雰囲気や空気ではない。自分もしくは相手のバックグラウンドや意思の尊重のみを考えて「選択」できたことで感じた「自由」なのではないだろうかと考えを巡らせる。

 学生の体験談や考え、コロナ禍当時の想いを直接聴くことができたのはもちろん、コロナ禍を経た日常を送るフランス人の姿をこの目で見、日本との違いを感じられたことは大変貴重な経験となった。